青春の孤島にて

この季節 駆け抜けるべき

16歳の二宮さんは


二宮さん、33歳のお誕生日おめでとうございます。

今日は梅雨真っ只中なのに青空が見えていて、とても良き日です。私の誕生日は梅雨明けしているのに高確率で雨が降るので、青空の下おめでとうを言われる二宮さんが羨ましくもあります。二宮さんには少しだけ雲が浮かんだ青空が似合いますね。そんな今日はとても良き日です。

去年ようやく二宮さんが嵐としてデビューした年齢と同じ歳になって、これから16年後、昨日までの二宮さんと同じ32歳の自分を想像してみました。今までも16年間生きてきたはずなのに、これから先の16年はぼんやり霞んでいて、私の中に32歳の自分はいませんでした。20歳の自分も、1年先の自分もわかりませんでした。だけどまた今から一つ歳を重ねようとしていて、抗いようもなく来月には17歳になってしまう。想像できなかった自分がすぐそこにいます。16歳の二宮さんは、一体どんな将来を想像していたのでしょうか。33歳の二宮さんは、想像していた将来の自分でしょうか。一本道しかない人生に最善最悪はないけど、ここまで来てよかったと思える、そう折り合いをつけられる現在であってほしいです。二宮さんの思う喜びが何なのかはわからないけれど、二宮さんがこの地球上のどこかに存在していれば、私は満足です。

とてつもなく天邪鬼だったり、度を超えたリアリストかと思ったらロマンチックな曲を書いたり、対人との距離感がエグかったりするのに、こんなにもたくさんの人に愛されている二宮さん。人間関係が器用じゃない私は、なぜこの人は嫌われないのだろうかと、真剣に考えたことがあります。辿り着いた答えは特にありません。二宮和也だから、ただそれだけです。人の間を縫うように、ひゅるひゅる風のように生きられるのは、二宮さんだからです。私は風のようにはなれない。人とぶつからないように生きることはとっても難しいという、至極当たり前のことを思い知っただけでした。そして余計二宮さんのことが好きになりました。私にないものを持った、私には成り得ない理想の人間である二宮さんのことが。

嵐担ニノ担言いながら全く嵐についても二宮さんについても書いてこなかったので、本日この良き日に二宮さんを好きな理由について書いてみました。もちろん汎用的にカッコいいとか歌が好きとかいう理由もあるけど、きっと根底は「こういう人になりたかった」という人としての憧れなのだと思います。憧れであって、なろうとしているわけでもなれると思ってるわけでもないけれど。ただただ嵐が、二宮さんが今後どこまで行くのか、どんな景色を見ていくのか、それが気になってしまうので嵐担はやめられません。1999年生まれの嵐世代(勝手に言ってる)として、嵐が嵐でなくなるまでは遠くで大衆に担がれている5人組を後ろからそっと見ていようと思います。

二宮さんのこの1年が、素敵な時間になりますように。
明後日の『BAY STORM』楽しみにしてます。お祝いメッセージ誰かな???