青春の孤島にて

この季節 駆け抜けるべき

変わることが怖い


何でも、こう、変化って苦手だ。

変わることが怖い。今に不満がないわけじゃないけど、でも、変わるのは嫌だ。

どうしてかって言われると、それはやっぱり変化して今より状況が悪くなるのが怖いから。嫌だから。
ああやっぱ変わらなきゃよかったっていう未来になるリスクを背負う覚悟がないから。
良くなるのかもしれないけど、悪くなる可能性が少しでもあるなら別に変わらなくていいや、って思う。


この季節は、どうしようもなく不安になる。

変わらないでって思っても、周りは変わってしまう。周りが変わってしまったら、私も変わってしまう。景色も空気も、あの子もこの子も、みんな変わってしまう。それと一緒に、私も変わってしまう。

だから春は嫌いだ。
見慣れた景色を変えてしまう春が、代わりなどない大切な人との別れを連れて来る春が、私は大っ嫌いだ。

いつになったらこの嫌悪とおさらば出来るのだろう。
昔は本当に新学期初日をどうサボってやろうか、なんてことばかり考えていたけれど、いつしか止められない時間に抗うのをやめて、どんよりした気持ちのまま変化を甘んじて受け入れるようになっていた。だけど、押し込めた嫌悪や不安は、うっかり飲み込んでしまった魚の骨のように心のどこかをチクチク突き刺している。
その痛みを感じなくなるまでは、私はきっと春を歓迎できない。


でも、悪くなる可能性があるから変化が怖いんだけど、それは一方で悪くなる可能性と同等の、いや、それよりもっと高い確率で良くなる可能性もある。もちろん悪くなる可能性の方が高いこともあるけれど、そんな賭けを毎日し続けている人はそうそういないはずだ。大体の変化には大体勝算がある。

変化は怖い。でも勝算という希望は持ってる。というか持ってないと辛い。これが慎重派と言うのかはわからないけど、生憎私は毎日博打のような派手な人生は所望していない。優先すべきは日々の安寧だ。

だから、恐怖と希望の狭間で私は今日も躊躇っている。躊躇いながら恐怖を切り刻んで、奥底に沈んだ希望を手繰り寄せて、そうして何とか今日を生き永らえている。



そして何を今更そんなに恐れているのだろうと自分に呆れている。変わるのが怖いと言いながら、生まれてから今まで自分がどれだけ変わって来たのか、自分で気づいていない。
見た目も中身も、昔と同じ自分などほとんど存在しないのに、一体何に怯えているのか。都合が良すぎて一度頭を砕いた方がいいんじゃないかと思う。


本当に変わるのが嫌なら、人間など辞めたらいい。人間を、生物を、そして宇宙に存在することを辞めてしまえばいい。
極端なのはわかっているけど、私は本気でそう思う。



今年の春は、いろんなことが目まぐるしく変わるし、すでにいろんなことが変わってしまった。

NEWSとゲームの中で恋愛出来るようになる。NEWSと恋愛したいかと言われれば特にしたいわけじゃないけど、たぶんゲームはやる。
Snow ManはYouTubeに出て来るようになった。なんか知らないけど髪型もまあまあ変わってしまった。何人かは元に戻ったけど。

担当だけでなく、周りも随分変わった。
キンプリがデビューする。おめでとう。
ふぉ〜ゆ〜と浜中文一くんの個別ページが出来た。おめでとうございます。
森田剛さんがご結婚された。おめでとうございます。末永くお幸せに。
他にも顔写真がネットOKになった大ニュースから噂レベルのことまで、ここ数年で一番と言っていいほどいろんなことが変わったと思う。どれも立場によって悲喜交々だろう。私も絶賛悲喜交々中だ。

そして私自身も、いろんな変化の最中にいる。
高校を卒業した。
親元を離れて県外に引っ越した。
大学に入学する。
変化が苦手だと言う人間が一度にする量の変革ではなかった。大丈夫じゃないといけないから大丈夫なフリをしているけど、この脆弱な豆腐メンタルはあんまり大丈夫じゃない。学校が変わるだけでもかなりの心労なのに、焦って生活まで変える必要は特になかった。実はちょっと後悔している。

でも勝算があるなら、私は恐怖に負けてはいけない。今の場所で出来ることがあるなら、私に後戻りする道はない。

生きている限り、変化に抗うことは絶対に出来ない。環境の変化も、他人の変化も、そして自分の変化も、それがどんなに痛かろうと、生きているならその変化は受け止めなければならない。


前回の記事を読み返していて、あの美しい恋にするよで泣いていた頃の私は変わりたくてしょうがなかったことを思い出した。そして変われなかったのは、やっぱり変わるのが怖かったからだということも。

変わりたいと思ったり、変わりたくないと思ったり、私はとても忙しない。でも結局変わらないという選択はしなかったし、出来なかった。ここまで来るのに変化は必要不可欠だった。


だからもう、変わっていくことを嘆くのはやめようと思う。環境に対しても、他人に対しても、自分に対しても。
その嘆きには、何の意味もない。


このままでいいわけないから、きっと人は変わっていくことを選ぶんだなと、この情報過多の今思った。
YouTubeも、最初は唐突すぎて驚いたけど、今のままでいてもデビューが見えて来ないから、なんでもいいから何かを新しく始めなきゃいけなかったんだろうなと思うし*1、加入も退所も、CDデビューもJr.卒業も、再始動も結婚も、私が今までして来た決断も、どの変化も究極の動機はこのままでいいわけじゃないから、なのかもしれない。

だとしたら、もうやりたいようにやればいいじゃない。好きなように生きてみてもいいじゃない。
今の場所に留まっていられないなら、叩かれても恥かいても、何かをやらなきゃしょうがない。

そして、私は変わって行くことを受け入れられる人でありたい。受け入れられる人でいなければいけないと思った。


変わることは怖い。
今だってとりあえず進路を決めて、とりあえず引っ越してはみたけれど、全く先が見えなくて、本当にこれで良かったのかと思う。

でもやっぱり、変わらなきゃ生きて行けない。ずっと高校生のままいることなど出来ないし、ずっと親に縋っているわけにもいかない。
今じゃなくてもよかったのかもしれないけど、でもいつかは変わらなきゃいけなかった。


変化を受け入れられるようになれば、この季節も少しは楽しめたりするのだろうか。春が楽しみだと、いつかは心の底から言ってみたいんだ。


変わることが怖い私へ。
今までだってなんとかなって来たんだから、今すぐ受け入れられなくても大丈夫。
避けられない変化を嘆くより、移りゆく季節を楽しんでみようか。


*1:そこまでの思慮などなく普通に「YouTube?面白そうじゃんやろやろー!」と言った気もしないでもないけど