青春の孤島にて

この季節 駆け抜けるべき

映画『ピンクとグレー』


遅ればせながら今日、『ピンクとグレー』を鑑賞してきた。

本当は『母と暮らせば』を観に行きたかったのだが、どこの映画館も午前に1回だけの上映で、そういう日に限って美容院の予約を入れてしまっていて行けず。
一方の『ピンクとグレー』は車で40分くらいかかる映画館が一番近い上映館だったので、個人的タイミングは早かったが、思い切って観てきた。
というのも私は基本的に1人で映画館に行くのが好きなのだが、混んでる中に1人で紛れ込む勇気はなく、だったら空いてくる公開1ヶ月後頃に行けば快適に1人映画を楽しめるのでは、ということに気づき、それからは公開してから1ヶ月後に行くことにしているのだ。
それに人が少ないと、マナーを守らない人も少ない気がする。
今回そこそこ混んでいる回に入って、更に痛感した。

この映画はじっくり考えながら観ていく映画だと思う。
少なくとも私は今日の1回しか(財政的にも時間的にも)見れないので、かなり集中して様々な思考を巡らせながら観ていた。
序盤にいくつかクスッとしてしまうシーンもあるが、どれも役者が全力で演じた結果であり、決してふざけているわけではない。
今日、私の斜め後ろに小学生の親子連れがいた。
そういうシーンになるとそこの席からキャハハと笑い声が聞こえてくる。
時々話し声が聞こえてくる。
2回も席を立って劇場を出ていく。
こちらはかなり集中して観ているだけに、向こうから何かアクションがある度、意識が映画から離れていってしまった。
今回は単純に私の席運がなかったのだろうし、超越した集中力があれば気にすることなく作品を楽しめたのかもしれない。
しかし、やはり小学生だろうが社会人だろうがマナーは守られるべきだと思う。
笑う笑わないは作品によるので難しいとは思うが、喋り声は静かな映画だと敏感に聞こえてしまうもの。
いくら隣の人と話したいことがあろうと、お喋りは上映後にお願いしたい。
もちろん他の基本的マナーも合わせて。
特に携帯・スマホは気をつけてね!
シゲが怒っちゃうからね!
「俺のマーニーを返せ!」って言われちゃうからね!
電源消すなり、マナーモードはカバンの奥底にしまっておいてね!
当たり前の常識ですが今一度、映画館マナーの見直しをよろしくお願い致します。

全くピングレ関係ないまま1000字近く使ったが、ここから感想というかただの独り言↓


いち原作ファンとしての感想
1年前、映画化の発表があった時から"大幅なアレンジ"というワードに戸惑っていた。
正直あそこまで映像的な流れが明確な小説を、どうアレンジしようものか、というのが全く想像できず、「観たい」と「観たら失望しそう」の狭間にいたのが第一印象。
そして1年経ち、映画が公開され、私はそれを観た。
やはり思っていたのとは全く違った。
原作の持つほんの僅かな救いが、別の救いに変わり、もはや別物だった。
見たかったシーンはなくなり、幾つかの明らかな謎も残った。
何より、りばちゃんに対するごっちの暖かさが見えなかったことが悲しかった。
原作『ピンクとグレー』は、常に"低い温度と高い湿度"に包まれていたと思っている。
しかし、"りばちゃんを想うごっち"だけは静かな暖かさを感じる。
それは少年時代も、高校時代も、白木蓮吾だけが売れても、2人が離れ離れになった時も、ごっちが死を選んだ時でも。
それだけが私にとってこの物語の唯一の救いのようであった。
しかし映画『ピンクとグレー』のごっちは、触れることすらできないほど冷たかった。
りばちゃんに冷たいごっちが、ただただ悲しかったのだ。
心臓が絞られるようにただただ痛かったのだ。


いち視聴者としての感想
鑑賞後、若干の(いい意味で)後味の悪さの中、一度原作と切り離してこの映画を考えてみた。
面白いほど衝撃的で挑戦的な映画だなと思った。
ものは考えよう、とはよく言ったもので。
結論としては、面白かった。
そう思えて本当によかった。
「観たい」と「観たら失望しそう」の狭間にいた分だけ、ホッとした。
何より三神/劇中サリー役の夏帆さんにただただ驚かされる。
あそこまで振り切ると人は完全に別人に見えるのだなと思うと少し怖くもあるが、夏帆さんは劇中サリー寄りのイメージが強かったので、三神麗があのサリーと同じ人だと理解するまでに時間がかかった。
そしてこれは本当にただの個人的視点だが、後半のモノクロパートが目の悪い私にはものすごく見づらかった。
目が勝手に色を探しているから、目が疲れた。


いち原作者ファンとしての感想
この映画を観に行った時を想像すると、必ずエンドロールで泣けるだろうなと思っていた。
しかし実際観に行くと、早々のタイトルバックでもう泣きそうになった。
どん底にいた青年が暗い部屋で独り、死に物狂いで生み出した『ピンクとグレー』という言葉が、5年の時を経て何万人もの人の目に留まり、大勢の人が映画化に関わって、今ここでその言葉が映像として私の目に入っているという事実。
それだけでもう十分だった。
あなたのしてきたことは正しかったのだ。
今こうして新しい花が開く瞬間、あなたの今まではそう肯定されている。
それが私にとってどれだけ嬉しいことなのか、少しでも、遠回りしても、いつか伝わればいい。


久々にここまで考える、考えさせられる映画を観た。
突発的に観に行ったから原作を読み直してないので、そのうちまた読もうかな。
願わくばもう一度観たいけれど、しばらく今日のこの想いを大事にしておこう。